あれから1か月

前回の投稿から1か月。連日猛暑日を記録し、毎日涼しいものを求める季節になりました。

 

さて、今回は函館へと旅立った4両のキハ40がその後どうなったかを書き綴っていきます。

まずは前回の廃車回送から

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追分駅に停車するキハ40

6月中旬、それまでしばらく運用を外れていたキハ40形700番台4両が旭川運転所発函館行の帰らぬ旅に出ました。

では、その後はどうなってしまったのでしょうか

 

函館到着後に2両ずつに分割され、五稜郭車両所に入場しました。

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五稜郭車両所に入場し解体の準備に入ったキハ40‐829.834

私が訪れた時にはすでに2両(804.729)が解体を終え、姿を消していました。

残った2両(829.834)もいよいよ解体開始といったところでした。

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このキハ40(829.834)、1977年に登場したキハ40形最初の16両のうちの2両で、2021年3月に運用を離脱するまで実に44年もの間極寒の大地で走り続けていました。

ちなみにこの”44年”という数字は0系新幹線が登場してから全ての車両が引退するまで合計した年数と同じになります。

約半世紀もの間1両で走ってきたと思うとすごいですね。尊敬に値します

他のキハ40形最初の16両に含まれていた車両が次々となくなっていく中ここまで生きていたのは正直奇跡といっても過言ではありません。

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エンジンと台車だけになってしまった829

話を戻しましょう

数日後にもう1度五稜郭に行ってみるとそこには変わり果てた829の姿がありました。

834も順次内装解体中といったところでした。

この日は829の残った部位と834の内装解体を行っていたようです

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外ということもあり煙の臭いや解体時の音を直で感じることが多々ありました。

目の前でバラバラになっていく姿を見るのは少々堪えますが、これが最後の立会いと思い撮影しました。

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ウン十年と走る列車とて寿命というものがあり、その使命を全うした瞬間に寿命を迎えます。

大抵の、歴史的な価値等がない場合はこのように解体されてしまいます。

バラバラに解体されてしまうのはとても残念ですが、バラバラになったものを鉄に変換し、再使用され、新たな列車を生み出すと考えればどうということはないでしょう。

 

この記事が投稿される頃には最後まで残った834も原型を留めてないでしょう。

最後に労いの言葉を、この場をお借りして言わせていただきます。

 

44年間、本当にお疲れさまでした。

 

 

というわけで今回はここまで。

次回の投稿はそう遠くないでしょう。

次回もお楽しみに( ◠‿◠ )